ダイアナの命日

1997年8月31日は、ちょうど1ヶ月におよぶマイアミ(Florida International Univeristy)滞在の最終日だった。シルビア・スミスのラボで一緒だったバレリー・スミスと最後の夕べをココナッツ・グローブのカフェで過ごしていた。何杯かのマルガリータを二人で空け、話も弾み、次なる私の滞在地である英国(Oxford)でも再会しようと約束した。やや夜も更けてシルビアに電話して迎えに来てもらった。
来てくれたシルビアはとても険しい顔で、開口一番「Princess Diana died by car crash.」我々は絶句したが、それ以後のシルビアの怒りに満ちた言葉の方が余程ショックだった。「Mikiのマイアミ最後の晩だから夕食作って待っていたのに、なんなのよ!」
シルビア宅に帰って来てから申し訳程度にベークドポテトをいただいたことは覚えているが、その夜をどのように過ごしたのか、シルビアやデイビッド(ご主人)とどんな会話を取り繕ったのか、もう、覚えていない。(あまり思い出したくない)
8/31のたびに思い出すとても苦い思い出である。
9/1にはOxfordに着いていた。イギリスは喪に服したムード一色で、葬儀の日には街のお店がみんな閉まってしまって、食事にも困った。OxfordのCity内にある教会という教会には献花が堆く積まれていた。私にとって、ダイアナさんは英国王子の美しい奥様以上のものではなく、その容姿の美しさを超えて美化されていることにはピンと来ない。車の事故でいっしょに亡くなったボーイフレンド(?)は武器商人だったと聞いた。

あのFIU滞在で始まった研究の最初のパートがやっと今年論文になった。うちのラボをでてFIUにポスドクにいったShin君が著者として名を連ねる。10年前にラボを仕切っていたバーバラは若くしてSLEで命を落とした。こんなに時間がかかったのは不本意だが、感慨深い論文である。