なぜか声高には言いにくいこと

たとえば

グローバルCOEとかワールドプレミアムとか、日本はみかけ風袋だけ大きなグラントを出して、ある意味で浮かれてしまっています。しかも論文の引用回数が多いとかNatureとかScienceに論文が出て新聞にでるとか、そういうことももちろん無意味ではありませんが、そのすべて逆のほうにある地味だけれども誰かがやっているのならぜひサポートしたい研究をも大事にするという、伝統的学問観が見失われているようなことはないでしょうか。だいたいこういう行政官とか政治家しかよろこびそうもない名前が出てきたら、つよく反撥する優れた研究者層が無くなってきているようなのが一番心配です。日本にそれほどおおぜいはいないであろう優れた研究者たちがもしも一色に染まってある方向に向かってしまったら、ろくなことが無いのは、政治の世界でも同じでしょう。かつての歴史がそれを証明しています。日本の実情は憂慮すべき状態と見ています。
わたくしも実はきわめて地味な仕事なのに、研究費をもらうために、そうでもないようなふりをして今日までやって来てるのですが、それがなにかのお手本になってしまっていたのなら、非常にまずかったのかなと、思うことがあります。グローバルCOEとかワールドプレミアムなど名前からして行政の一種の暴走で、声に出すのも恥ずかしい、と思うのです。それにうかうかと乗る大学人や当局の犠牲になりかかって(いまだに引っ越しの具体的手順がきまらないのですが)始めて、こういうものの行政の無慈悲さを実感しています。ただ、わたくしの内面での反撥はきわめて強硬なので、逆に自分に残っている強さも実感できてはいます。そう意味で個人的にはポジティブな面もある経験です。
(柳田充弘の休憩時間「一日早めて帰国、0君のこと、日本の実情 2007.6.20」より)

など、すごい業績が有るわけでも一度でもでかいプロジェクトグラントを獲得したことが有るわけでもない、私のような一介の研究者からはなかなか主張しづらい。「負け犬の遠吠え」とか思われても平気だが、「ネガティブ思考で戦闘意欲なし」と誤解されるのは困る。
でも、外に出せずにくすぶらせていた思いが自分だけの問題ではないのだ、と分かると本当に心強い。
ただし、これは全く自慢できない話で、自分が正しいと思えば勇気を持って口に出す/主張できる人がエライ。(研究でも同じ。)