重い提案

福島第一からは沢山の放射性物質が外界に流出し、それはどうも今でも止まっていないようだ。今後、調べれば調べるほど、広い範囲の土地が、そして食物があるレベルの放射能で汚染されていくのだろう。
小出裕章氏は自らの著書で提案している。

原発のウソ (扶桑社新書)

原発のウソ (扶桑社新書)

放射能汚染の現実を超えて

放射能汚染の現実を超えて

原発のウソより引用)
子どもたちの被曝を減らすために私が提案したいのは「大人や高齢者が汚染された食品を積極的に引き受けることです。学校給食などは、徹底的に安全にこだわらなければなりません。(中略)
今となっては、食物の汚染は避けようがないのです。しかし、もし私たち日本人が福島や北関東の野菜を食べなければ地域の農業が崩壊してしまいます。同じように、漁業も崩壊するでしょう。ではどうすればよいのか。私だって放射能に汚染された食べ物を食べたくはありません。皆さんもそうでしょう。でももう汚れてしまったのです。
(中略)
どんな汚染でも生じてしまった以上は拒否してはいけない。「汚染されている事実」をごまかさずに明らかにさせたうえで、野菜でも魚でもちゃんと流通させるべきだということ。そして「子どもと妊婦にはできるだけ安全と分かっているものを食べさせよう。汚染されたものは放射線に対して鈍感になっている大人や高齢者が食べよう」ということです。

この論は、45歳以上(特に50歳以上)では放射線被曝を受けた場合の危険性がそれ以下の年代(特に20代以下)と比べて非常に低いことに根ざしている。
技術的には、汚染食品と非汚染食品を、たとえば一つの家庭で同じ食卓を囲む家族が食べ分けることは難しいかも知れない。が、できる限りの峻別能力を駆使して、これを実現させないといけないのだろう。
氏は、被害を福島の人たちだけに押し付けてはならないとも主張している。日本全体で、年代を越えて、地域を問わず、今回のような大惨事を招く可能性があったにもかかわらずそれを容認してきた(少なくともそれを容認/推進してきた政治を選択してきた)責任を取らないといけないという考え方には、同調せざるをえない。今の実態はどうか。「がんばれ」という号令は華やかだが、そこまでの覚悟があるか?