定電流電源

M1の頃だったか、初めてSDS-PAGEをした。まだリン酸緩衝液をつかったWeber&Osborn法で、チューブゲルだったり約16 cm角のスラブだった。間もなくそのスラブゲルでLaemmli法を始めた。泳動槽はMS機器製、真空管式のMax 20 mAの定電流電源(おそらく昔のセルロースアセテート電気泳動用だろう)を使っていたが、これではスラブゲル1枚が限度だった。

真空管式電源(Tokyo Photoelectric Co. LTD, Model ANA-55S)スイッチを入れると内部で真空管が橙色に陰極フィラメントを光らせ、ウォーミングアップが終わる=本当に暖かくなって電圧・電流計が操作に応答し始めるまでにしばらくかかった。)
当時市販の定電流電源は10万円近くしてとてもラボのグラントで購入することは難しいように思われたので、自作記事(白浜啓四郎, 1975,「ゲル電気泳動用簡易低電流装置の製作」蛋白質核酸酵素 Vol. 20 (14), 1319-1320)を参考に作ることにした。中高時代に作っていた短波受信機や7 MHzトランシーバーのキットよりは簡単だろうと思って。その後、かなりの期間、上記真空管式電源といっしょに酷使されたが、その後少しずつより精密な定電流・定電圧装置を追加購入するにつれて第一線からは遠のいていった。もちろんまだちゃんと働く。Max50 mAなので、SDS-PAGEのミニゲル2枚くらいはドライブできる。
中身を見ると稚拙な(いい加減な)部品配置、孔空け、ハンダ付けでみっともないが、実用本位ということで微笑ましくもある。トランジスタは、ゴミ捨て場で拾ってきたTVから得たジャンクだと思う。パワートランジスタの放熱器もジャンクだった。新規に購入(カホ無線パーツセンターat 天神にて)したのは、電流計、トランス、アルミケース、可変抵抗くらい。(値段もこの順に高かったような記憶がある。)総費用は2万円弱だったような儚い記憶。何個か第1段目のトランジスタ(回路図中のTr2)を一瞬にしてお釈迦にしたなぁ(流れる電流の計算が間違っていた)。この電源、安全用にはヒューズくらいしか入れてないので、出力をショートさせるとトランジスタが即死である(もちろん使用者にも危ない)。そんなミスに見舞われず、よくぞ今まで生き延びたものである。