原田正純さん

先日お亡くなりになった。水俣病の解明と患者救済に一生を捧げた。私は大学1年の頃、水俣病を含む様々な環境問題・公害病の本を読み漁っていた。そんな読書・独学を、(死守するほどの自信も基盤もなかったが)それなりな正義感を燃やす燃料にしていた。

偶然、永田浩三さんという方のBlog「隙だらけ 好きだらけ日記」に原田さんに関する記事を見つけた。今、3.11原発震災で暴かれた社会的巨大矛盾と戦うことの必要性と難しさを、半世紀近く前の水俣病時代とのものすごいアナロジーで示していると思う。

水俣病の原因企業であるチッソは、単なる営利企業ではない。日本の農業、特に化学肥料依存と、農業の工業化を支えた国策企業である。チッソのバックには、通産省があり、東大や東工大の研究者、興銀などの金融機関があった。チッソは、日本の代表的エスタブリッシュ企業であり、そこにたくさんの利権が群がっていた。そうした化け物のような企業が、患者たちを無視し、責任回避し、真実を語らず、居直りつづけた。会社がつぶれれば、補償もできない、水俣の町が立ち行かない、日本の経済が立ち行かない、そういった言説をふりまいた。そして、患者や支援者たちを、金目当ての過激派のように仕立て上げ、総会屋や右翼を使って、弾圧し、懐柔した。このふるまいは、いまの東電や「原子力ムラ」と、なんと似ていることだろうか。
水俣病の正体は、いまだにすべて明らかになってはいない。政府と最高裁で、認定基準が違う。基準は、極めて政治的なものであり、補償費がふくらまないような配慮があり、科学的なものではない。御用学者が、科学者としての矜持を放棄し、基準を裁量して、操作しているのだ。
そんななかで、原田さんは、権威といわれるものと、敢然と向き合ってきた。原田さんは、熊本大学では、ついに教授に昇格できず、助教授のままだった。(中略)
今年3月、原田さんは、松江市で講演し、「フクシマ事故で放出された放射性物質は、海水で薄まるなどいう説は、間違っている」と怒った。海に流れ出たものが、食物連鎖で濃縮されるというのが、水俣病の教訓だったからだ。(後略)