病気、疾病、障害と社会の価値観

今日の朝刊の社説

社説:ディスレクシア スピルバーグ氏の「伝言」
毎日新聞 2012年10月13日 02時30分(最終更新 10月13日 02時30分)

 「め」と「ぬ」の区別ができない、黒板の文字を書き写せない、行を飛ばして読んでしまう……。ほかの学力は普通なのに読み書きだけが苦手な子どもがいる。ディスレクシア、日本語では読字障害などという。先天的な脳の中枢神経に問題のある学習障害の一つだ。

 映画監督のスティーブン・スピルバーグ氏がディスレクシアであることを明らかにした。「E・T・」「ジョーズ」「シンドラーのリスト」などの名作を生んできた天才監督である。読み書きが苦手で、中学生のころいじめにあい、卒業も2年遅れたという。診断されたのは5年前。今も台本を読むのに普通の人の2倍の時間がかかるという。

 英語圏での発生率は10%以上といい、俳優のトム・クルーズキアヌ・リーブスオーランド・ブルーム各氏らも自らディスレクシアであることを公表している。学校や図書館での支援が充実している国もある。

 日本での発生率は5%前後ともいうが一般的には知られていない。東京都内に住む27歳の男性は子どものころから文字や数字だけがぼやけて見え、画数の多い漢字が書けなかった。原稿用紙のマスからはみ出し、表面につやのある再生紙だと光に目が奪われてさらに読めない。勉強はできたが、ノートが取れないため高校で行き詰まり、転校を繰り返した末に不登校になった。

 アルバイト先では作業手順書が読めず、客の注文を書き留められない。ふざけていると思われ「何やってんだ」と叱られてきた。21歳のころ学習障害を支援する団体と巡り合い、ようやく謎が解けたという。今では文字を拡大するパソコンソフトを使って読み書きを補い、同じ障害の子の学習支援や啓発活動を行っている。「なぜ自分だけ読み書きが苦手なのかわからず、不安と孤独に苦しんでいる子は多いはず」という。

 何を病気や障害とするのかは、社会の価値観や医療・生活関連技術の進歩とも深い関係がある。現在、アメリカ精神医学会のDSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)の改定作業が進められているが、過去には「同性愛」が疾病とされており、現在は「喫煙」が疾病リストに掲載されている。また、持って生まれた特性や努力だけでなく、周囲の理解や環境も人生を大きく左右する。

これは、最近読んだケン・ロビンソン/ルー・アロニカの本「才能を引き出すエレメントの法則」中のあるエピソードを思い出させた。

才能を引き出すエレメントの法則

才能を引き出すエレメントの法則

これはTEDでのスピーチでケン・ロビンソンが紹介していた。

その部分和訳は、

…… 3つ目に知性とは比類ないものです。 今『エピファニー』という新しい本を執筆中です。 いかに人間は自分の才能とめぐり会うか その過程について色々な人に インタビューしました。 この本を書くきっかけを与えてくれたのは 恐らく皆さんが知らないある女性です。 ジリアン・リンといいます 何人か知っているみたいですね。彼女は振り付け師です 彼女の作品は誰もが知っています。 「キャッツ」や「オペラ座の怪人」です。 彼女は素晴らしい。私は昔、英国ロイヤルバレーの役員でした。 見ればわかるでしょ! ジリアンとランチをした時尋ねたんです 「どうやってダンサーになったの?」 彼女の答えは興味深かった。ジリアンは小学生の頃 まったくもって絶望的でした。1930年代のことです。 学校は彼女の両親に ジリアンには学習障害があると伝えたんです。 集中力がなくいつもそわそわしていた。今だったらADHDと言われているんでしょうが1930年代は ADHDなんて概念はありませんでしたから そう判断することはできなかったですよね。 当時の人はADHDなんて知る由もなかった。

とにかくジリアンは専門家に相談に行きました。重厚な壁に囲まれた部屋で 部屋の隅にある椅子に座るよう言われ 20分も何もせずに座っている横で 専門家は母親に向かって ジリアンの学校での問題について話していたそうです。ジリアンはいつも遅れて宿題を出したり 他の生徒の学習に支障をきたすと 最終的に医者がジリアンの所に来て言いました。「ジリアン」 「君のお母さんの話をいろいろ聞いて」 「お母さんと2人で少しお話がしたいんだ」 「少しここで待ってて」。 ジリアンを1人残し 医者と母親は部屋を出て行きました。その際に医者はラジオのスイッチを入れました。そして部屋の外で母親に 「ここでジリアンを見ていて下さい」と伝えました。するとジリアンは元気そうに、音楽に合わせて動き始めました。母親と医者はそんなジリアンを見守りました。そして医者は母親に言ったんです。「お母さん、ジリアンは病気なんかじゃありません。ダンサーですよ」 「ダンススクールに通わせてあげなさい」。

私はその後を尋ねると、 「行かせてくれたわ。どんなに楽しかったか言葉じゃ表せない!」 「ダンススクールには私みたいな子ばかりいた」 「みんなじっとしてられないの」 「考えるのにまず体を使わなくちゃいけない」。 彼女はバレーやタップやジャズダンスを習いました。モダンやコンテンポラリーダンスもやりました。ジリアンはやがてロイヤルバレー学校の オーディションに受かってソリストになり 見事なキャリアを築きました。それからロイヤルバレーを卒業して ジリアン・リン・ダンスカンパニーを設立しました。その後アンドリュー・ロイド・ウィーバーと出会い ジリアンは歴史上もっとも偉大なミュージカルを手がけます。何百万人もの人に感動と喜びを与え 経済的にも大成功しました。あの医者じゃなければ彼女を薬漬けにして おとなしくするように言っていたかもしれません。

私達が「これができないとまともな人間生活を営めない」と決めて病気や障害と定義したものが、ほんとうにそのように扱うべきものなのか?ある多様性をもった個性とは根本的にどう違うのか?と考えてしまった。世の中の価値基準がもし異なっていれば、たとえば球技が下手なだけで「球状の物体を使ったスポーツがまともにできない」障害とかにされてしまわないか? 喫煙者を病気扱いするなど、なにか変な考え方に思える。