茶番の二乗

こちらの論の信ぴょう性が高まっていると思う。もし本当なら、下記のような寄稿はとんでもない提灯記事で(2013年5月2日 朝日新聞)、茶番と茶番の掛け算的滑稽な話である。同時に底深い悪意の渦を感じて怖い。

(私の視点)ボストン爆破事件 テロに立ち向かう市民の力 岡本行夫

 ボストン・マラソンゴール地点での爆弾テロ。すぐそばに雷が落ちたようなすさまじい音だった。私は、1発目の爆弾が置かれていた場所から2メートル離れたところで、浮き立つ気分で見物していたが、爆発の20分前にそこを離れ、隣の通りにいた。そこへ、血だらけの負傷者が次々に運び込まれてきた。多数の救護隊員が駆けつけ、見知らぬ人々が声を掛けあい、携帯電話を貸しあい、気遣いあっていた。爆発後に到着した5千人のランナーの中には、そのまま病院まで走って献血を申し出た人々も多くいたという。危機に際して団結し、整然と対応するアメリカ人の市民性を今さらのように見た。
 法執行機関が見せた対応力は水際だっていた。お祭り一色だった雰囲気が瞬時のうちに危機管理体制に切り替えられ、現場のボイルストン通りへのすべての入り口が直ちに封鎖され、多数の救急車と警察車両が集結した。
 犯人捜査は犠牲者の救済と同時に始まり、各種の電子媒体を使って市民に対する情報と写真の提供が呼びかけられた。そして、わずか4日後の容疑者の逮捕。
 感心したのは、州知事、市長、米連邦捜査局FBI)、州警察、市警察が共同で行った随時の記者会見だ。捜査の妨げにならないすべての情報を開示し、記者からの質問にためらうことなく答えていく。こうした発表の仕方が、犯罪に対決する市民の一体感を作っていくことを思い知った。
 テロは減らせても、根絶することはできない。情報収集による未然防止、警戒態勢の強化による抑止、不幸にしてテロが発生した場合の犯人の迅速な逮捕や実行組織への対策などで、最大限に封じ込めるより仕方がない。
 その際に決定的に重要なのは「市民の協力」だ。犯人捕捉のために当局がボストン周辺で行った今回の広範な交通遮断や商業活動停止は、法律ではなく市民の自発的協力に準拠していた。テロと対決する市民の毅然(きぜん)たる姿勢が、テロリストたちを孤立させ、発見されやすくする。
 アメリカは多様な人種、価値観、文化を受け入れ、その相克の中から、普遍的なプラットホームをつくって発展してきた国家だ。今回の容疑者は、そのアメリカに受け入れられてチェチェン共和国から移住してきた兄弟だが、今回のテロにもかかわらず、アメリカの移民政策に大きな変化はあるまい。開放性と多様性は、アメリカの基盤だ。これを崩すことなくいかにテロを抑えこんでいくか。その宿命的な課題に立ち向かえるのは、法執行機関の能力と市民の協力しかない。
 (おかもとゆきお 米マサチューセッツ工科大学シニアフェロー 外交評論家)