隣国を国として嗤うことはできない

先日、たまたま出くわしたTVのバラエティー系番組で、いろんな「識者」(宮崎哲弥氏を含む)や芸能人(たとえば桂ざこば氏)が、先日起きた韓国のフェリー沈没事件をネタに「こんなみっともない酷い事件がいかにあり得ないか」とか「事後処理対応を含めてこのような酷い事件となった韓国がいかにダメな国であるか」という意見が飛び交っていました。国民の命をここまでないがしろにした政府(=しばしば「国」と言い換えられてます)の未熟さと罪を声高に叫んでいました。
このような論調の批判は素直に認められません。相対的に自国の立場をよく見せようとする意図を感じます。同様な「安易な(実は企みのある)韓国批判」を批判するこちらの論旨に私は同感です。

(前略)
セウォル号の船長は、事故が起きたとき、乗客を救助しようとせず、逆に船内放送で乗客の高校生をその場に止まらせ、急いで避難させないように足を縛った。その理由は、自分たち乗組員だけが助かろうとしたからであり、乗客に避難を呼びかけると、船内が混乱し、自分たちが逃げ遅れる可能性があると思ったからだ。乗客を見捨てたのであり、自分たちが助かるために騙して犠牲にしたのだ。韓国のマスコミは、このようなことは日本では起きないと言い、韓国の後進性を自虐して嘆いている。日本の右翼も、これが「三流国家」の韓国の正体だと騒いで喜んでいる。本当にそうか。3年前の事実を思い出さなくてはいけない。
(中略)
SPEEDIは、原子力災害から国民を守るためではなく、放射能汚染から官僚を守るためのシステムだった。もし、3/11の事故直後から、SPEEDIの刻々の予測値が公表されていれば、事前にそれを知って逃れようとする住民の動きで若干の混乱が生じたかもしれない。官僚はそれを恐れ、自分たちだけが安全な方向と場所に逃げたのだ。安全情報を独占したのであり、住民を犠牲にして隠蔽した。3/15に風が北西に吹き、飯舘村の方向の直線ベルト地帯を汚染する事態を事前に知っていれば、馬場有は住民を津島地区に避難させる指示はしなかった。

セウォル号の船長のケースと何が違うのだろう。日本も同じことをやっていて、官僚行政の腐敗と不全は同じだ。事件の推移を見ながら、日本とよく似ていると思う。……(後略)

「こんな事件は日本では起きない」のではなく、日本でもつい3年前に起きていたので、これを決して忘れたりはしません。