自分が重点化されたかどうかは別の話

自分が重点化された領域に立っていると自覚したことはほとんどない。が、それは甘えかも知れない。少なくとも、日本のなかで特に重点化(厚遇)された大学にいるわけだし(これは学問領域の話しではないが)。

水産学が重点化された科学領域だとは思わないが、それでもなんだかんだ言って「生かされてきた」科学として水産学は続いているし、まだいろんな発展の可能性を含んでいる。そんな水産学の中では、なにか新しさと夢を感じさせる領域の一つとして免疫・生体防御は小さいながらも比較的活気がある「分科細目」に育ってきたと思う。その期待と実際の出力のバランスがまだまだ歪なまま、存続がまだ許されているということかもしれない。だから、我々は夢とか、基本的な理解とかを唱えるだけでなく、何らかの出力(応用)を目に見える形にしなければならない。同時に、次なる夢とさらなる根本的理解の必要性を生みだし、わかりやすく伝えなければならない。

何が言いたいかと言えば、自分自身が、反骨精神が必然的に育まれた時期があったことは確かだが、科学の中で特に冷遇されてきたとは思わない。むしろ恵まれてきたと言ってもよい。湯水のようにお金があって何不自由なく研究につぎ込めた分けではないが、それほどの不自由を感じない程度に、研究費はとれてきたし、研究を続けてこられた。(今年は比較的厳しいが^^;)
ただし、予算的に重点化されるかどうか、というよりも、自分が携わる科学領域が「重要である」と認知されるように努力は続けなければいけないし、もっと人が集って大事で活力のある科学領域に育つことを目標にするのは当然のことである。