長崎原爆の日

ここ何日か、深夜のNHKで原爆・太平洋戦争関連の特集番組を見て、それらの悲惨さに改めてうちひしがれた。日本は直接的に・間接的に戦争をしやすい国に変わりつつあると感じる。それも大きな議論や選挙を経ずに、なし崩しに。戦争に至ったプロセスも、戦争中のさまざまな出来事も、美化も風化もさせずに歴史・教訓として生かさなければならない。
なし崩しから連想して、最近の大学での決まり事に、スピード第一で議論が不十分というプロセスが多くなってきたと感じる。約10年前の大学院大学への改組や移転への賛否にくらべても小さくない変化を法人化以来続けていると思うのだが、あの時のように議論は熱くならない。いくら議論しても何も決まらないという虚無感が残ったか? 今は、WGなどの決定プロセスの当事者でないと、なんとなくいつのまにか決まっていくという感じることが多いのでは無かろうか。
これまでの大学では議論と決定が遅いのだめだったから、このような風潮になっているのかもしれないが、もう少し合意形成に時間をかけるか(現状ではいろんな議論のスピードについていくことが困難だと思う。あるいは、スピーディーにトップダウンで進めたいのならば、そのような立場の人々をもともとトップダウンができるように選んでおくか、が必要な気がする。